私は読書好き、ですとか、活字中毒というより、本という物質そのものが好きなようです。
子供の頃、うちにはファミコンがありませんでした。学習塾へも通いませんでした。
児童の数の少ない地域だったのもあり、そう毎日同じクラスメイトと遊ぶわけにもいかないので、放課後から夕食までの間の過ごし方は、主にお絵かき、アニメの再放送を観る、そして子供向けの百科事典や親に買ってもらった本を読むことでした。
決して本の多くない家でしたが、本によって紙質、におい、フォントなどがこんなに違うのかとおどろき、「家庭の医学」まで引っ張り出して眺めていました。読めない漢字があっても構わず、ただ本に触れていたかったのでした。
とはいえ、そのおかげで高校時代以降(市街地の学校だったので、大きな本屋に通えるようになった)、本屋へしょっちゅう立ち寄りますし、いったん中へ入ると数冊買ってしまう癖があるので、買った本はきちんと読みたい。
どうやら私は文章を食べ物や食べることに喩える癖がありますが、オーダーした料理(=買った本)を絶対残すな(=読み半端なままで処分しないとか、積ん読のままにしない)、とまで言わなくても、味を確かめ(=読了し、印象を頭に刻みつける)たいのです。
私が、どんな時に本を読み進めることが出来なくなるか、「読書の時間がとれない」以外に挙げてみると、
・眠いなど、体調的な理由
・内容に飽きてしまった
・書かれている内容に抵抗を覚えてしまう
・印刷や書体が、どうもとっつきにくい
・他の考え事があって、目が活字を追えない
といったものがあります。
最初の2つはいったん諦めるとして(それでもなるだけ処分しないようにします)、次の2つは読書力がついたり書かれているジャンルに興味が向けば読むのを再開するでしょう。
最後の、読書に費やせる時間はあっても頭の中が整理できていない場合(これが結構多いんです…)について、
最近私は、本の傍らにペンとメモ紙を置くことにしました。
頭の中で発生したノイズを、書き出すのです。
書き出すことは、なんだって構いません。
「おなかがすいた」「あーやってられない」「うっとうしい」「XXの返事のメール、いつ書こうか?」…などなど。
ノイズを書きだすことへの抵抗を捨て、書き出したノイズたちに否定的な気持ちを持つのを止め、ふっと浮かんだらペンを走らせて、再び本に目を落とします。
ログを残して観察する性質ではありませんので、メモ帳ではなくて、メモ紙でいいと思います。要らないレシートの裏とか。
書いた紙は、読書を中断するときに、くしゃっと捨てても構いません。
抱えているタスクや、頭の中にある考え全てを全部紙に書き出すワークもある(GTDの「収集」作業など)のですが、ノイズを書き出すのはあくまで頭をスッキリさせて読み進めるためにします。
GTD的にまとめてガーっと書き切りたいなら、作業をそちらに切り替えてもいいでしょう(GTDの「収集作業」は定期に行うものですが)。
デメリットは移動中などに実行出来ないことでしょうか。
ケータイのメール作成などで打ち込むのは、手書きとは気分が異なると思います。
私のオリジナルの手法ですが(すでに実行されている方もいらっしゃるでしょうか)、
「気分的に集中できない」という理由で読書を避けてしまう方は、試してみてください。
友人の黒野明子さん(以下、ニックネームのcremaさんで表記)が先日、セミナーイベントに出演されたのですが、
私は裏方の裏方(?)に関わらせていただきました。
MT4LP5(イベント公式サイト)
MT4LP5リハーサル覚え書き (cremaさんのブログ)
プレゼン本番の前にプライベートなリハーサルを開く、というのはcremaさんご自身の提案だったのですが、
私はリハーサルのアジェンダと評価方法の提案、あとリハでのファシリテーションを買って出ました。
(リハの進行はcremaさんにお任せし、ちょっとコメントが欲しそうな場面に促したり、
アジェンダを復唱したりといった、さりげないサポートをしてみました)
以下、私がどういう観点でサポートしたかを記しておきます。
その1:アジェンダづくりは「逆算」&「メインのアジェンダ」を念頭に
まず、与えられた時間から、メインのアジェンダを引き算します。
リハーサルは、都内の某所で、普通の会社の営業時間後(夜間帯)に2時間半ほどを確保していました。
2時間半もあれば長丁場に思えます。
cremaさんのプレゼンでの持ち時間は70分程度だそうです。
150分マイナス70分=80分。
私は、「リハーサルを1回通してしまえばあっという間に時間切れだ」と焦りました。
あっという間?
そうなんです。ミーティングには幾種類もの段取りがあり、どれかが欠けると、
参加者に不満が出たり、効率的にフィードバックを得にくくなります。
同じ会社の人間同士の、定例ミーティングであれば遅刻者が出ても、延長しても、勢いや事後のフォローで
なんとかなるでしょう。
今回は有志による企画で、かつリハーサルも1回きりでした。
ですので、発表者にも、参加者にも負荷をかけないアジェンダづくりが至上命題(大げさですが)だと捉えました。
ということで、重要でないように思えて、実は生産性に関わるする要素も引き算に入れていきます。
冒頭の挨拶・自己紹介:20分
(実はここで、若干遅刻する方の到着なども考慮しています)
休憩:15分
締めの挨拶と片付け:5分
計40分。
リハーサル以外に与えられた時間80分マイナス40分=40分!
40分程度で、参加者の講評を集めなくてはいけません。
けれど、挨拶や休憩などの「40分」は短縮せずに、下記のようなアジェンダ案をcremaさんに提出しました。
開始〜開始20分後
主旨と進め方の説明、参加者自己紹介
ほか、飲み物の用意など開始20分後〜開始1時間半後
リハーサル
(70分間若干の延長を想定)開始1時間半後〜開始1時間45分後
休憩開始1時間45分後〜開始2時間25分後
講評開始2時間25分後〜終了時間
締めの挨拶・片付け
その2:情報を「気持ちよく」「取り出しやすく」するツールを用意
こうしてアジェンダを組み立てたら(cremaさんからも了解をいただきました)、参加者の人数、
参加者の職業や立場なども考慮にいれ、講評の形式を検討します。
当初は、参加者は12名程度(cremaさんを除く)を予定していました。
元々の知り合いなので、人数に大きな増減はないと推定します。
すると一人あたりに与えられた講評の時間は3分強です。
さらに、考えすぎの私は、
・声の大きい人のコメントに、みんなが「右に同じ」的なコメントを発言するのではないか
・プレゼンターは、どちらかというと主観的、感覚的な講評を強く記憶し、そればかり気にとめてしまい
テクニカルな部分や細かな要素をケアしそびれるのではないか
・講評時間そのものの時間切れ。メールなどで後追いのフォローも可能ではあるが、
言いたいことが五月雨式だと、再修正の効率性に支障をきたすのではないか
といったことを気にかけました。
参加者のみなさんの名誉のために言いますと、彼らの能力や性格そのものを疑っているわけではありません。
プレゼンを評価する人間はWebのプロであっても、評価の仕方や評価の伝え方についてはプロとは限らないという事実と、
やはり講評の時間に制限があるという2つの制約があることを念頭に置きました。
私のような未熟者が申しあげるのも僭越ですが、参加者のコミュニケーション能力や集中力に依存しない仕組みを
用意しなくてはいけません。
出来るだけ多面的な評価が可能で、プレゼンターの「熱」が冷めた後も、きちんと振り返りのできる方法が望まれます。
結果、私から提案したのは、
参加者を「自由に感想を述べるグループ」と「ある評価軸に沿った採点をする」グループに二分する
評価軸以外の設問を書いたアンケートを配布し、それは参加者全員に記入してもらう
というやり方でした。
自由に感想を述べる場合、「気付いたこと」ベースで、感覚的なことや印象に残ったことを多く語るものです。
評価軸に沿って採点すれば、定性的な要素を、比較的冷静に判断し、端的に評価できます。
参加者の印象オンリーで再修正を促すのでも、採点ベースの無機質な評価に終始するのでもなく、
両者がそれぞれを補えたらな、と考えました。
グループ分けの人選は、参加者を招待したcremaさんご自身にお願いしました。
(グループごとに、こういう資質のある人が適しているだろうというポイントは伝えました)
もちろん、両グループともに、全員が口頭で講評を述べることとし、リハ当日は人の講評を聞いた他の参加者が
感じたことを口に出せるような柔らかい雰囲気づくりにも配慮しました。
その上で時間切れになったこと、口頭では伝えきれなかったが紙に残して読みかえして欲しいものは
アンケートや、個別のメールで吸収するようすれば、のちのプレゼン資料の再修正も楽に、漏れなく対応できます。
そのようなわけで、当日、参加全員にアンケートと、評価をするグループの人には評価用のシートの2枚が
配られました。
たかが紙ペラですが、紙ペラ1枚ないし2枚をきちんと書き込んでもらうために、これだけのことを考え、
設問もcremaさんとメールでやりとりし、配るタイミングまで検討しました。
言い換えれば、発信したい情報、得たい情報を取り出しやすく、かつ気持ちよく取り出すために工夫をこらしました。
結果、どうだったか
私からの提案に、cremaさんは終始快諾してくださり、互いに意見交換をしつつ、リハーサルを迎えました。
(とはいえ、メールのみのやりとりで、往復4回くらいだったと思います)
リハーサル当日は、終始和やかなムードで、私の取り越し苦労だったかなという感じでした(とてもいいことです!)。
また、参加者の意識が高く、それぞれの講評の際に参加者間で軽いブレスト状態にもなりましたが、
それも長引かずに自然と収束していきました。
たくさんの有意義なアイデアが出てきて、多忙なcremaさんご自身があれもこれも対応したりして、
ますます彼女の睡眠時間が削られてしまうのでは…?と懸念してしまったほどです。
リハーサルそのものの時間は、当初の予定より早めに終わりましたが、その分休憩時間を延ばしました。
また、講評が若干長引きましたが、会場サイドから承諾をいただき、約10分程度の延長で終了しました。
cremaさん本人には、リハーサルの締めくくりに「講評を受けて、本番までどうしていきたいか」を発表していただきました。
プレゼンのスライドは、リハーサルでの講評を反映し、さらにcremaさんのデザインセンスやユーモアも
大いに盛り込んだものにブラッシュアップされました。
確認用にリハーサル参加者へ配布されたのをみて、感動し泣きそうになったくらいです(本当に)。
私はあいにく、イベント本番に立ち会えなかったので、リハーサルの成果、そしてプレゼンそのものの
実際は、cremaさんのブログやイベント参加者のブログ、生の声に譲ります。
とまあ、長々となりましたが、プレゼンのリハーサルはニッチなものなので(笑)
会議の設定やWebサイトなどの成果物の評価、ワークショップの企画などにおいて、
なんらかのヒントになればと思います。
昨日、twitterで文章を書く上での文体について知人とpostのやりとりがあったので、ここに私の考えを書きます。
※文章全般にも言える話だと思いますが、文芸や論文、ニュースというより、
特にブログや私信などの文章を意識して述べます。
文体とは自分の骨格・体質と食べ物の関係に似ている。
私たちは、これまで食べてきたものが自分を形づくっており、食べているものが自分を形づくっていく。
好みやアレルギーなどのファクターを通じて。
まあこれは飽食な日本で生まれ育ったからこそ考え得ることなのだけど。
人は好きな文章・素敵だと思う文章に出会えば、どんどんもっと好きな文章・素敵な文章を読みたくなり、自分の書くテキストに影響を及ぼす。
他人の文章を読んで・自分で文書を書いて・自分の文章を読みかえして・他人の文章を読んで…のサイクルは、文章が上手くなりたいと願う誰もが直観し、実行している(もしくは、周りの文章好きに訊けばすぐにこのサイクルを教えてもらえるだろう)。
そんなわけで話を戻すと、読んできた文章は食べてきた食べ物、こういう風に書けたらという文章は
これから食べる食べ物に喩えられる。
なりたい文体が書けるかというとそう単純な話ではなくて、好みとかアレルギーが絡む。
読む・書くのサイクルに好奇心、自分の性格、思考の癖、さまざまなバイアス(無知や偏見、どうしても数字の書いてある文章は受け付けないとか)とが混ざり合う。こうして本意であれ不本意であれ、自分にフィットする文体ができあがっていく。
それがオリジナリティ…じゃなくて、あなたオリジナルな文体。
オリジナリティは、最初からあなたの中にある。
外部/内面にある既存の何か、あなたが文字を打ち込んでいくこの瞬間に生まれる何かが、あなたのオリジナリティをつくって、現してくれる。
もちろん、生きている限り人間は食べ続ける(赤ちゃんはミルクを飲む、病気などで栄養を補給する状態になる、などの例外はあるが)ように、生きている限り、読む行為・書く行為は続くし、読む物も好奇心のありようも、書くためのツールだって変わっていくことでしょう。
また、アレルギー体質とやや違って、考え方の癖や好奇心のありようは変わったりもします。
オリジナリティをアウトプットする精度も、訓練によって上がっていきます。
こういう文体で悩んでいます、という方に、私はこう書いたら?とアドバイスできますが、
それは別の機会に。
ちなみに、文章が上手…というか文章が上手でネット上の空気の流れを読む・作るのが得意な人は、
とっくに「釣る」「ネタ」「煽る」「disる」など際にいろんな文体を使い分けているのですが、
彼らは”食べるのが好きな料理人”というイメージかな。
一流シェフだったり、創作料理の板前だったり、さまざまですが。
補注:「文体」の意味は
1. 文章のスタイル。語彙・語法・修辞など、いかにもその作者らしい文章表現上の特色。
2. 文章の様式
となり、当記事では1.について述べました。
(広辞苑 第六版より)
私が同業種の方々とお話ししたり、営業にでかけると時々、
Webディレクターは技術のことを熟知していなくてもいい、ですとか
Webディレクターは実作業(デザイン・コーディング・システム関連の作業)をせずに、プロジェクトの要件を決めたり進捗管理に集中するほうが理想、といったような事を聞きます。
私の場合は、制作の作業は行いません。
厳密にはデザイン(絵を描くこと)の前の段階である「情報設計」の場面で、サイトマップやワイヤーフレームを作成しますが。手を動かす場合は資料作成、議事録作成、進捗管理がほとんどです。
もちろん書籍や雑誌を買いあさりますが、私は知識を網羅的に抑えるスキル、判らないことを訊くスキルを重視しています。
一方で、Webディレクターにスペシャルゼネラリスト(何でもできるし、一つ一つの出来も素晴らしい人)としての資質が求められていたりもします。
理由は主に3つ、Webディレクターは大体がプレイングマネジャー(仕事に携わりながら管理も行う)なので、現場のこと、Web制作のトレンドを抑えておくべきということ。何かしら手を動かした経験のある人は、より大きなスパンで行動するにしても、物事の飲み込みが早く(「あのとき苦労したコーディングはこういうことに直結していたのか」みたいに頭の電球がピカピカ点滅しやすい)、成果を出すまでのスピードが早いということ。そして、スペシャルゼネラリストは制作側のチームの求心力となりチームメンバーのモチベーションや(いい意味での)プレッシャーが存在するということです。
WebサイトやWebサービスの構築は、たしかに成果物ありきの話なのですが、
仕事に費やす時間の殆どは結果ではなくプロセスだ、という事実は、Webの仕事についても当てはまります。
プロセスから成果物へ—ボトムアップ的に考えると、あまり齟齬やストレスを生まないように、そして手戻りの元となる「取りこぼし」を防ぐために、知っていたほうがいい。できれば、出来ていた方がいい。
実作業の知識がある、素養がある、ということは、制作メンバー間でのひとつひとつの会話にテコが入っているということだと思います。
優秀なWebディレクターは制作面だけでなく、顧客や上司とのコミュニケーションにおいても「テコ」をいれている人なのでしょう。
もちろん、テコを当てにしてはいけないのですが。
言ってしまうと身も蓋もないのですが、何のスキルをどの程度求められているか、というのは所属しているチーム(制作会社)やプロジェクトの規模にもよります。
ですが、どこで仕事をするにしても、できていて当たり前、という考え方はつれないし、できなくてもいい、という言葉は思考停止や、低い次元での開き直りを招きます。
プロジェクトにおけるコミュニケーションの心地よさを目指していけば、自分がするべきことが見えてくるのだと思います。
まず、乱暴に区切ると、Webの仕事は「制作」と「制作の話をまとめる」という大区分があります。
あと、「運用する」という区分もありますが、今回は脇に置いておきます。
画像の上部は「制作フェーズ」です。
左端の丸は発注元の担当者、真ん中はWebディレクター、右端の小さい丸は制作者・実装をする人。
ディレクターは成果物を担当者に提出し、それに対し担当者はフィードバックを出します。
(言葉が不統一ですみません。成果物とアウトプットはほぼ同義で使っています)
小さい丸からDへ延びている矢印に書いてある文字は「output」。つまりデザインやプログラム。
Webディレクターは制作者に対し、指示やFB(フィードバック)を出します。
制作フェーズでは、Webディレクターは発注元の担当者と二人三脚かつ制作者と二人三脚で仕事を進めます。
画像の下部は、「制作以外のフェーズ」です。
左側は発注者側。「ボ」はボス。決裁者とか責任者。「担」は担当者。
右側の「P」はプロデューサー、「D」はディレクター。
左側から右側へ「オファー・FB」が出されます。
右側から左側へは「提案」が出されます。見積もりの提案、企画の提案、デザインの提案、戦略の提案…など。
つまり、Webディレクターはいろんな職種・立場の人たちの「間に立って」活動しているわけです。
twitterで友人とチャット状態になったので、メモとして書き残します。
わからないこと
経験がないこと
できないこと
と、
自分の価値そのものや、自分が価値を生み出せるかどうかということ
は、一本の線でつながらないと思います。
常識(どこの?…組織とか、コミュニティとか、自分のいる世界の。)や、
自分の思いこみが「わからないからだめだ、実績がないからヘタレだ」と、つないでしまっているに過ぎない。
こういった錯覚は、私自身も、ときに陥る。
自分の頭をポカポカと叩いているのとはまた別に、タスクの消化や納品、といったラインが走っている。
何本も走っている。
自分を疑ったり否定することと、タスクを消化すること、コミットを果たすのは、これまた一本の線ではつながらない。
プロジェクトは無機質で、それゆえにときに優しかったり冷酷であるけれど、
それをこなす「人」は、苦しんだり立ち止まったりする。
苦しい錯覚に陥ったら、遠回りのようでも、
自分が価値を生み出せるということを思い返すこと
自分のプレイに集中すること
を試みるほか、ないと思います。
勉強とかは二の次で。
あとは自分自身や、できるもの、わかる人、技術そのものに対するリスペクトが薄い状態だと、苦しみやすいんだろうなあ。
先ほどの記事で、日頃(いや、日頃というほど頻繁ではないのですが)私が自分の仕事である「Webディレクター」は何をやっている人なのか、また、「Web検定」で(2007年現在)触れられているWebディレクターの定義について紹介しました。
『ウェブの仕事力が上がる標準ガイドブック 3 Webディレクション』によれば
Webディレクター
《大 きく分かれて2つの役割がある。1つはプロジェクト計画からコンテンツオーナーや発注者の要望をブレイクダウンし、制作作業が進められるよう設計書や仕様 書にまとめ、関係者間で認識をすり合わせ、調整する役割。もう一つは、設計書や仕様書をベースにデザイナーやコーダーに作業指示を出してアウトプットを入 手し、コンテンツオーナーに対してデザイン案や個別ページの確認を依頼、必要な調整を行って完成させていくという制作進行管理の仕事
である。》
※第二章「リソース管理」にある「デザイン開発における主要なプロジェクトメンバーの役割」の項に書かれた「ディレクター」の定義。
上記をフレーズごとに、私の理解や実務の場面での言葉(会話)を使って説明してみます。
その前に…はじめにお伝えしておきます。
・この記事の主な目的は「Webディレクターってなんだろう?」と思われている方たちへの説明。
つまり、読み手はWebディレクターを知らない老若男女および何かWebの仕事をしたいと思っている人、せざるをえなくなった人をターゲットにしています。
・Webディレクターの数、ないしWebディレクターの在籍する会社の数だけ、仕事ぶりもそれぞれです。
・会話例がある場合、実際はオトナ語で話され更に固有名詞(人名・会社名・サービス名)が加わります。
では、説明をはじめます。
1つはプロジェクト計画からコンテンツオーナーや発注者の要望をブレイクダウンし、
プロジェクト…期間や目的が限定されているお仕事。限定というのは永久に続くのではないという意味。
「A社のWebサイトを新しくする」「B社のWebサイトの管理が面倒なので何とかする」
プロジェクト計画は、「A社のWebサイトを新しくする」にはどうするか?について、リソース(資源。つまり働く人・コンテンツ・お金・時間…など)を考慮にいれて、計画をたてることそのもの、ないし計画の中身。
コンテンツオーナー…コンテンツの「ヌシ」。
コンテンツとは、ミクロな意味で言うと、情報を含んでいる何か。文字や図絵、映像、音声のそれぞれないしいくつか組み合わせたもの。
Webサイトをつくる上でのコンテンツは、あるジャンルやカテゴリーに属した情報のまとまり。スーパーマーケットに喩えるなら精肉コーナー、青果コーナー。会社のWebサイトにあてはめると、だいたいの会社のWebサイトには採用情報、サービス案内、本社へのアクセス…といった「コーナー的なもの」がいくつかあり、その裏にはA社に誰か担当の社員さんがいて、ああしてこうしてと指示したり、一家言もっている。
発注者の要望…「Webサイトをつくって」ないし「つくりかえて」、「コンテンツを追加して」などとお願いすること。できあがったものを「もっとこうして」「こんなんじゃお話しになりませんのでなんとかしてください」とフィードナックするのも要望のうち。
発注者は、厳密には書類レベルでの発注する人間と、受注者に対し電話やメール、打ち合わせで依頼をかける人間にわけられ、両者は必ずしも同じ人ではない。
ブレイクダウン…かみくだくこと。伝え手の言葉に5W1H+伝え手と受け手の両方がほぼ同じイメージをもてるような例示を加えること。
発注者の要望
「もうすぐバレンタインだから、TOPページにバナーつけてよ。ばーんと派手に!」
↓
ブレイクダウンした結果(例です)
「1月XX日より2月XX日まで、TOPページの「おしらせ」コーナーにバナーを設置。写真画像はA社のバレンタイン商品を使用、サイズは縦○○ピクセル、幅○○ピクセル。Flashやgifアニメーションは使用しない。デザインは文字のフォント、トーンは現状のサイトのイメージを踏襲しつつ、赤とハートを多めに使用し、2パターンを用意する。20代OLの興味をひきたてるものとする。A社担当者への一回目のデザイン案提出は1月XX日。」
日本語は曖昧な言語で、かつ日本文化の中で大人になった私たちは「言えば判るよね」という暗黙の了解が多い。以心伝心なフィーリングは貴重な感性であるが、Web制作においては、目に見えるもの(Webコンテンツ、Webサイト)を前提に仕事が発生しているので、二つ返事で仕事をしてしまうと、解釈の違いが生じ、出来上がってから「なんじゃこりゃー」となることが多い。
仕事の現場が日本語圏であっても英語圏であっても、伝え手と受け手は別の人間なので、頭の中に思い描いているものを一致させるように具体化していく。人はそれをコミュニケーションと呼びます。
ここでのWebディレクターの役割は、伝え手(発注者)の言いたいことを具体化すると共に、それが実現する(パソコンや携帯電話の画面に目に見える形にする)ための「なぜ・いつ・どこで・誰が・何を・どうやって」を明確にしてあげ、了解を得ること。
制作作業…上記の例でいうと、「ばーんと派手!」なバナーを目に見える形にすること(絵を描いたり文字を選んだり配色を考えたり、コピーを書くことなど)、そして掲載する先であるTOPページに載せるように加工すること。制作作業が進められるよう設計書や仕様 書にまとめ、関係者間で認識をすり合わせ、調整する役割。
大雑把に言えば、世の中に頼まれたものを具現化・可視化する作業です。
設計書や仕様書にまとめ…Webというものは、「餃子ください」と頼んで十数分後に焼かれた餃子が出てくるような、頼めば出てくるものではないのです。なにかと決めごとが多い。餃子だけを作っているわけでもなく、お金もそれなりにかかりますし、関わる人も複数になり、そう失敗はできない。
上記の「制作作業」をする制作者に「派手なバナーを」と頼めば、発注者本人かその知人でない限り、曖昧すぎて不安になります。ですので、建物で言えば設計書、料理で言えばレシピを用意して、制作ができるように準備をします。
文書は発注者の要望を聞き取り、ブレイクダウンした人がまとめるのが効率的なので、ディレクターが設計書や仕様書とよばれる資料に落とし込むケースが多いです。
Webサイトの質と、発注者と受注者のコミュニケーションの質を保つために、設計書や仕様書といった文書は存在します。
「決めごと」を文書にするメリットとしては、次の項目にも関連しますが、文書が存在しない時にくらべて発注者とのコミュニケーションもスムーズですし、継続して同じ制作者に依頼する際も、前に作った文書をもとに検討したり、改善することができること。トラブルを避けたり、予想外にお金や時間がかかるのを防ぐ役目もあります。
(資料は話し合いのベースになるので別名「叩き台」とも呼ばれます)
関係者間で認識をすり合わせ、調整する役割…餃子屋さんで餃子を頼む際もそうなのですが、オーダーしたら店員さんが確認しますよね。Web制作の場面でも、確認をとります。
大抵、確認をとるといっても一発OKではありません。「すり合わせ」と「調整」の結果、制作がスタートします。
ディレクターのアクションとしては、上記の参考文献に言及されていませんでしたが、まず打ち合わせを設定します。発注者から打ち合わせの日程を指定された場合も、行けるかどうかの返事をしたり、打ち合わせで何を話すかの議題を予告したり、資料を揃えます。これが案外、時間のかかるものです。
すり合わせというのは、制作者の「あなたの要望をブレイクダウンしてまとめたけど、こういうやりかたで進めてOKですか?」と確認をとり、それに対し
発注者に「うん」とか「いやーそうじゃなくて…」などと返事をもらい、確認をとりながらどういう考えを持っているのか、聞き出します。
一発OKでない場合や、さらなる要望が出た場合、「いやーそうじゃなくて…」ですとか「なんか違う」「それって時間かかりすぎじゃないの」「今はやりのB社っぽくできないの?」といった返答をもらった場合は、調整します。
調整は打ち合わせのその場で出来ることと、宿題として持ち帰り、(早いうちに)済ませるものの2種類があります。発注者に対し更に質問をしたり、時間がかからないようにするにはどうしたらいいか考えて提案したり、B社っぽいテイストかつA社らしさのあるバナーができないか、デザイナーさんに相談したり。
「いややはり難しいです」と要求を断ったり、妥協案を出すのも調整のうちです。
制作の前段階までの説明で、かなり字数を割いてしまいました。「その3」で「もう一つは…」以降の作業について述べたいと思います。
私は、公の場で自分を紹介する時、ないし人を通じ紹介していただく際に「Webディレクター」という職業名を用いたり、用いられたりしています。
テレビ番組のディレクター、CMディレクターであれば、会議室に詰めて企画を練っていそうとか、撮影スタジオで仕切ったりしている人なのかなと想像してもらいやすいのでしょう(テレビやCMのディレクターさん、私もイメージで語ってごめんなさい)。
でも、Webディレクターって。
判りづらいですよね。いや、「づらい」どころではなく謎の仕事でしょう。
実際に、Web制作関係者の集まりでなければ、ほぼ100%「何やってるの?」と訊かれます。
私は
「ホー
ムページを作るときに、いまは一人で全部請け負うってなかなか難しいんですよ。いろいろ難しくて複雑なのと、みなさん忙しいですから。そこで、何人もの人
でつくろうって時に、ページ作ってと頼む方のお話しをまとめあげて、一方でページ作りたい・作れるって人のできること、こういう風につくるけどどうする?
という話もまとめて、いったりきたりしながら、ホームページできるように進めていく役割をやってます。でも話をまとめてるだけじゃ、ホームページは完成し
ませんから、依頼する人に素材くださいとか、つくる人にページできてますか?などとお尻を叩いたりします」
…などと返答しています。
会話レベルではこのボリュームでお腹いっぱい過ぎるくらいです。
大前提として受発注が存在するのだけど、そこは会話なので割愛します。
大抵は上記の返答も半分くらいで相手から別の質問や感想がきて、それに返答して…。
なかには、「で、結局なんの仕事なのか判らないけど」という言葉をもらうこともあります(笑)。
どう言えば、ひとことで理解していただけるのでしょう。誰か知っている人がいたら教えてください。
以前は「Webをつくっていく上での、現場監督です」と自己紹介状に書いたこともあります。
もっとも、先方のWebサイトについてヒアリングを行い、私がその会社の社員だったらどういう役割をするか、説明をおこなった上でのことでしたが。
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ところで、社団法人 全日本能率連盟の登録資格に「Web検定(ウェブケン)」というものがあります。
Webに関する知識や経験を計る共通のモノサシ(検定)を設けることで、就職や転職に役立てたり、Webに関わるビジネスパーソンの間でコミュニケーションロスを減らす効果を狙うものだそうです。
そのWeb検定のテキストでもあり、Webにまつわる業務知識を解説した『ウェブの仕事力が上がる 標準ガイドブック』シリーズで、リテラシー、デザイン、ディレクション、プロデュース、プログラミングの5冊で構成されています(プログラミングのみ未発売)。
シリーズのうち『Webディレクション』『Webプロデュース』から、Webディレクターのほか、Web制作関係者の中でも混同しやすい職種名について調べてみました。
※《》内は引用
Webディレクター
《大
きく分かれて2つの役割がある。1つはプロジェクト計画からコンテンツオーナーや発注者の要望をブレイクダウンし、制作作業が進められるよう設計書や仕様
書にまとめ、関係者間で認識をすり合わせ、調整する役割。もう一つは、設計書や仕様書をベースにデザイナーやコーダーに作業指示を出してアウトプットを入
手し、コンテンツオーナーに対してデザイン案や個別ページの確認を依頼、必要な調整を行って完成させていくという制作進行管理の仕事
である。》
コンテンツオーナー
《営業部門や商品開発部門など、コンテンツの情報ソースを保有し、Webサイトを運営することでのメリットを享受する担当部門を指す。》
Webマスター
《企業のWebサイトの運営における最終責任者である。Webサイトの構築/運営を制作会社などに発注するプロジェクトマネージャー(PM)が兼任しているケースや、上位のマネジメントのみが特化して単独で行うケースなど、その職務は様々である。》
Webプロデューサー
《(コンテンツビジネスにおける正しい定義としては)ビジネスの成功に責任を持つ者》
《Webを用いたビジネスとしての成功に責任を持つ者》
…難しく言うと、かつ現場の人間向けの語彙を用いていうと、そういうことらしいです。
書き写していて肩が凝りました。
なので、会話ベースで、Webディレクターさんがどのような仕事をしているのか、次回の記事で紹介したいと思います。
(Webディレクターの数、ないしWebディレクターの在籍する会社の数だけ、仕事ぶりもそれぞれなのですが)
2008年、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて私は、帰省し年明けに厄払いと同級会を兼ねた会に参加してきました。
女性の厄年は数え年で19歳、33歳、37歳(ちなみに男性は25歳、42歳、61歳)になります。
個人的には厄というか、予想不能かつ自分の能力・体力では対応しきれない出来事が、20代の終わりに集中していたので勝手に厄年は通り過ぎた、と解釈しているのですが、自営で仕事をしているので何かと縁起がらみの物事は気になります(笑)。
私は、厄年というのは、「責任」のリマインドと捉えています。
ここでいう「責任」とは、「自分で種を蒔いて自分で刈り取ること」「すべて自分に跳ね返ってくる」時の「自分に跳ね返ってくる何か」、くらいの意味です。
たとえば、数え年33歳(満年齢32歳)前後というのは女性であれ男性であれ、各場面において、責任を自覚してやってますか?と自問したり、「責任の精算」をする出来事が起こる最初の年代なのでしょう。精算、というと良くない響きがしますが、良く(家族が増える、仕事で責任のあるポジションに就くなど)も悪く(親や自分が病気をしたり、自分のキャリアに迷うなど)もアクションを起こさざるを得なくなる、ということです。
そしてさすがに三十路は子供ではないので、何か不都合な事が起きて、誰かのせいにしようとしても、それは格好悪い以前に不可能に近いケースが殆どだったりします。気が重い。でもみんなやってきた。ううむ。
矛先を変えて新年にひとつ、提案します。
責任ばかりに目がいくと、思考も行動も堅くなりがちでしょう。なので、自分の持っている自由も、責任と同じくらいに把握し、駆使してみてはどうでしょうか。
昔、「職業選択の自由」というコピーがありました(…時代ですねえ)が、自由にはそれ自体が「選択できる状態」という性質があります。仕事や、ライフスタイル、話し言葉、書き言葉、着る服、食べ物…など。
目の前にあるものや、自分の持ち物は自分が選んだんだ、と自覚をして、もし選ばされたと感じたり、しっくりこなければ、選択し直せばいい。
何も不都合に思える人間関係を断ち切ったり、髪を金に染めたり、放浪するなど極端な事をせずとも、多少のアレンジで腑に落ちるかもしれません。自分がしっくりくること、主体性を自覚できることが大事です。
コツとなる考え方としては、大抵の物事には、「ここまでは決め打ち」な領域と「ここまでは自由」という領域があるということです。
自由を自覚することは、決め打ちと自由との両者の配分を把握し、「ここまでは自由」のエリアで自分は何をするか?を考えることではないでしょうか。
規則があっても、ここまでなら許される、ということはあるでしょう(中高生で、スカートを校則ギリギリの長さにしておき、普段は捲っているけど、風紀検査の時は下ろす、みたいなズルではなく)。
目に見える範囲で、どうしてもその格好じゃなきゃ、その言い回しじゃなきゃ駄目、であっても、考え方や物事の接し方をアレンジする自由くらいは残されていませんか。仕事においても、プロジェクト内の政治と自分の出来るネゴシエーション、レギュレーション(規則)とクリエイティビティ、メンバーのキャラクターと彼らとのコミュニケーションといった対立項で、自分が100%何もできない、ということは滅多にないはずです。
そう考えれば、奇跡なんて起こらなくとも、いきなり窮地を切り抜けるヒントがひらめかなくとも、災難を決めつけていたいくつかの物事は、クリアしがいのある課題に変化するのかなと思います。
この年の瀬に感じるのですが、私は仕事をしていないと、怠け者すぎるほど怠け者なのだ思います。
動きは遅く、うっかりしていて、皮膚もたるんでいるように見えます。
フリーランスの人はプー(ニートでもいいよ)と紙一重といいますか、
実際、プーと働き者の切り替えスイッチは私の中の割と手の届くところにあって、
さまざまな意味で抱えているものが少ないのもあり、「プー」側への切り替えというのは、ごく簡単なものなのです。
勤勉なみなさまに申し上げるのは大変恥ずかしいのですが、私はプーの経験も短期間であれ数回ありまして、当時の習性や思い癖が体に染みついております。
確実に言えるのは、プーだった頃に世の中をボゲーっと眺めていた経験は、その後、本当に役に立っていることです。
私の稼業は、「溺れない」ことが大事だから。
瞬間的に、感情・体調・事情・政治…などに溺れるのは仕方ないとしても、やはりゴール(納期や目標)まで漕ぎ着けなくてはいけない。
プロジェクトは、少なくともディレクターにとっては、ドラマの舞台なんかではない。
私は時々、打ち合わせの時や、人と食事したり酒を飲んでいると、プロジェクトや接している相手の人生を、私の頭の奥の壁にストリーミングしているような感覚をおぼえることがあります。これがプー時代の名残。
いちいちクリアな視界で凝視してると疲れ果てるし、視界狭窄になるんです。
誰かが、プロジェクトの中枢を担うのであれ、一作業者であれ、疲れ果てると優先順位を見失います。根拠もなく優先順位がおかしくなると、リソースが損失したり、納期に響きます。
ぼんやりでもいいので、おおまかに掴んでおいて、体力を温存し五感を泳がせていると、パスが見える瞬間がくる。
ただし、これは仕事に慣れていって、緩急のつけどころや、都度自分に求められる成果物の精度・粒度を把握できるようになってからの話です。そうじゃないと、ただのボーッとした人や不思議ちゃんだから(笑)。
相手やプロジェクトそのものに飛び込むことと、脳内ストリーミング、それと数字や文字で表される目標とか目的、この3つを行ったりきたりして、バランスを保っているように思います。
泳ぎに喩えるなら、潜って水を掻いて息継ぎして、漂って、沈まないようにすることです。
さて来年は、どれだけジャブジャブと泳げるのか、もしくは波を楽しめるのか、ワクワクします。
読書中に書き出す、ってのをちょうど考えて... read more
on 読書の時間はとれるのに、いまいち集中できないなら