この年の瀬に感じるのですが、私は仕事をしていないと、怠け者すぎるほど怠け者なのだ思います。
動きは遅く、うっかりしていて、皮膚もたるんでいるように見えます。
フリーランスの人はプー(ニートでもいいよ)と紙一重といいますか、
実際、プーと働き者の切り替えスイッチは私の中の割と手の届くところにあって、
さまざまな意味で抱えているものが少ないのもあり、「プー」側への切り替えというのは、ごく簡単なものなのです。
勤勉なみなさまに申し上げるのは大変恥ずかしいのですが、私はプーの経験も短期間であれ数回ありまして、当時の習性や思い癖が体に染みついております。
確実に言えるのは、プーだった頃に世の中をボゲーっと眺めていた経験は、その後、本当に役に立っていることです。
私の稼業は、「溺れない」ことが大事だから。
瞬間的に、感情・体調・事情・政治…などに溺れるのは仕方ないとしても、やはりゴール(納期や目標)まで漕ぎ着けなくてはいけない。
プロジェクトは、少なくともディレクターにとっては、ドラマの舞台なんかではない。
私は時々、打ち合わせの時や、人と食事したり酒を飲んでいると、プロジェクトや接している相手の人生を、私の頭の奥の壁にストリーミングしているような感覚をおぼえることがあります。これがプー時代の名残。
いちいちクリアな視界で凝視してると疲れ果てるし、視界狭窄になるんです。
誰かが、プロジェクトの中枢を担うのであれ、一作業者であれ、疲れ果てると優先順位を見失います。根拠もなく優先順位がおかしくなると、リソースが損失したり、納期に響きます。
ぼんやりでもいいので、おおまかに掴んでおいて、体力を温存し五感を泳がせていると、パスが見える瞬間がくる。
ただし、これは仕事に慣れていって、緩急のつけどころや、都度自分に求められる成果物の精度・粒度を把握できるようになってからの話です。そうじゃないと、ただのボーッとした人や不思議ちゃんだから(笑)。
相手やプロジェクトそのものに飛び込むことと、脳内ストリーミング、それと数字や文字で表される目標とか目的、この3つを行ったりきたりして、バランスを保っているように思います。
泳ぎに喩えるなら、潜って水を掻いて息継ぎして、漂って、沈まないようにすることです。
さて来年は、どれだけジャブジャブと泳げるのか、もしくは波を楽しめるのか、ワクワクします。
このブログは2007年10月14日に開設しました。
一度他社のブログサービス上で書いた記事を、再録する作業を行っています。
ですので、過去の(2006年後半〜2007年前半)日付の記事が、徐々に追加されていく予定です。
考えが詰められていない点や、記述が古びている箇所もあるかと思いますが、どうぞご了承ねがいます。
仕事をしていく上で、持久力もスタミナも大事だけど(結局それでやってのけるものだ)、
結構、恒常性を見落としがちかなぁと思いました。
恒常性とは、生き物の生理状態を、一定に保つ性質のことですけど、
仕事しいては人生においては、「何かあってもいつもの調子でやってけるようにしてること」と
捉えています。
最近転居をして、身体が環境に追いついていなのか、疲れが出やすいのですけど、
締め切りが迫って自分を責めるより、恒常性を信じてやれること・やることを進めていこうと思いました。
昨日はセミナーイベントでした。
懇親会さらには3次会まで参加し、Web制作者の方々と濃い時間を過ごしました。
インプットそのものの印象がとても強かったので、今朝は家事をこなしながら取り止めもなく考えては消え、の繰り返し。
やはりお酒が進んでしまったので、「何気ない言葉や仕草で人を傷つけたんじゃないか」などと回想してしまいました(苦笑)。
私の話が続きますが、学生の頃より「考え過ぎ」と指摘されていました。
「気にしすぎ」や「杞憂」の類ではなく、アウトプットを前提とした思慮だったり、戦略を練るのだったら、「考え過ぎ」も役には立つでしょう。
ディレクションやプロジェクト管理といった仕事は知的労働の一形態なので、「考え過ぎ」の中身は後者になります。ならないと周囲が困ります。
(私が新米ディレクターの頃は「気にしすぎ」や「杞憂」ばかりでした)
誰かが私を「君は考え過ぎだよ」と苦笑いで指摘する際、考え過ぎている私の意識はme方向(私自身へ向かっている)で、アウトプットを生み出すために考えまくる人の意識はus方向(本人と関わる人々へ向かっている)です。
※me方向もus方向も仮にそう呼んでみました。
まあ、プライベートな場でも、後で一人になったときに意識が「me方向」にならないように軽くブレーキを踏んでおきなさいということです。
さておき、私は考えるのが苦ではありません。むしろ好きというかつきまとってきます。
なぜか。
無意識のうちに、考えるという行為が、手ぶらでも・どこでもできる便利なものと捉えているからなのだと思います。
便利…そう、コンビニ(convenience storeは便利という意味の単語convenienceから来てる)みたいに、便利なものイコール本当にその人にとっていいのか、判らない。
かといって、人が便利と思ってとっている行動に対して「やめなさい」と止められるのは抵抗があります。
ただ言えるのは、考える環境やマインドセット(上記の意識の方向)をなるだけ心地よいものにしてあげることです。
もし考えごとが多い方や、仕事で考えことに多く時間を割く方がいれば、考えている時の意識の向きを把握して、環境作りをしてみるといいと思います。
たとえば、メモの習慣や付箋紙を持ち歩く、マインドマップの書き方を覚えたり、たくさん本を読む、人によっては昼休みのトイレタイムは呼吸を整えるとか、バランスボールで身体を鍛えるというもまで含まれるでしょう。
職業意識がある人は誰でも、実践的かつ実利的な「工夫」の経験もあるので、そう難しくないと思います。
Webディレクターと書いて「気遣いの人」とルビを振る、というのはアリでしょうか。
賛否を超えて理想論であり、
・Webディレクター≠制作職
・Webディレクター≒サービス業
という考え方です。
私のこれまでの経験や、交流会での雑談を聞く限り、そう思う人は少なからず存在しています。
(統計とっていませんが)
想像の域を出ませんが、同時にWebディレクター(以下ディレクターとします)といってもPM(プロジェクト・マネージャー)寄りにガリガリとミッション
を遂行すればいい(ないし、すべき)とか、「仕切り」こそディレクターの本質だとか、プロデューサーの補助としてマメに進行管理をするものだ、と思う方も
いらっしゃるでしょう。
特に最後の場合は、Webサイトの運用体制が自社で完結し、上司の権限が強い組織によく見られ、ディレクター当人もそうやって心理的にわりきっているかもしれません。
私は、Webディレクターと書いて「気遣いの人」とルビを振るのは本質であると信じている節がありますが、それはサービス業やグループセクレタリーの経験も影響しています。
そして、以前はサービスのスキルは丁稚奉公的に身につけるものだと思いこんでいましたが(ある部分では真実だと思いますが)、ようやく近年になって自分の中の「下僕っぽさ」が取れてきたと感じます。
※考えましたが、下僕っぽくなるのは性格の問題というより、結果論で、コミュニケーションのストレスや、誰かが「やらされてる」と思いこむネガティブさを、咀嚼も客観視もせず吸収し続けた結果ではないでしょうか。
昨日も、ある個人開業の方にヒアリングをしていて気づいたのですが、いまの私は
・気遣い=最適化(のために働きかけること)
と捉えているのではないか。
その方から「Webの更新を楽にして」「やりやすく」「コンテンツを整理して」と聞き出しているうちに、「最適化」という言葉が何度も出てきました。
ここでは気遣いとは最適化、心理面でいうと気持ちよく仕事をできること、と解釈します。それは大変ですが、適切にコミットして(かかわりあいに納得して)いれば、やっていて気持ちよいです。
一番実践的なのは、コミュニケーションにおいて、各メンバーのストレスや齟齬を0に近づけること(メールの書き方・送り方などなど)です。
さらに、「メンバーに発見の機会を与える・いまやっていることに発見があると気づいてもらう」ことも、最適化のうちに挙げられるのではないか。
みんな、発見することは大好きですし、発見は進歩の種であり、それ自体にセラピー的な効果もあります。
発見はいろいろな場面で起こります。たとえば、役割分担がキッチリとしたプロジェクトでは上流の(戦略を練る)レイヤーの出した仮説と、その裏付け(市場
調査やユーザーテストの結果など)を、デザイナーさんやライターさんに提示してあげること。FYI(For Your
Information、参考情報)のメールに気の利いた言葉を差し込んで、相手の作業が終わるころに送信すること。
発見は、きっかけこそ与えられても、相手の中で自発的に起こるものです。トップダウン式に押しつけるのではなく、依頼の根拠として・的確なタイミングで、
ポジティブなショックを与え、ふだんと使っているのと違う脳の部分(彼らも想像力や制作について日々考えています)を使ってもらうこと。もしこれが実現し
たらと思うと、想像しただけで嬉しいし、段取りした甲斐があります。
mixiの、クリエイターやデザイナー向けのコミュニティで、Webデザイナーを始めて1年という学生さんが、デザインの上達方法を訊ねていました。
そのトピックのレスポンスの最初の3つが、情報設計の大事さを説いていることに、ちょっと驚きました。
mixiの日記なり、コミュニティのトピックを使った事のある人は体感されていると思いますが、生まれたてのトピックの初期のレスポンスは、「はいっ!」と立ちながら挙手!というような、伝えたい衝動がすごく込められているものです。
そういう初期衝動の、エネルギーの濃い段階に、制作レイヤー(デザイナーやアートディレクター)であろう回答者が情報設計を訴えるというのは、IA(情報設計・インフォメーション・アーキテクチャー)の認知度やニーズもあがってきたんだなぁと実感しました。
情報設計というのは一言でいうと、「サイトのユーザーが、つまずくことなく欲しい情報をゲットする、仕組みづくり」です。
たとえば、B公園があって、そこの最寄り駅に A駅がある。情報設計とは、A駅からBという公園までの道路を舗装したり、正確でキレイな看板を設置したり、土地勘のある人の良さそうなおばさんがいたり、ということを考えたり手配することです。
業界においてWebの情報設計は、(プロジェクト全体の)ディレクターの仕事というイメージが強いし、実践もそうだったりします。
「インフォメーション・アーキテクト」という専任の職種もあらわれ始めましたが、現状ではその人の会社での所属はディレクター部門だったり、名刺の同じ行(つまり肩書き欄)にディレクターと併記されていたりしています。
人員やコストの都合上、デザイナーがそれをやるとしたら、「ディレクター寄りのデザイナー」として位置づけられたりもします。
情報設計だけの専門の人つけてよー。と叫びたくなるくらい、知識も素養もたくさん求められるのですが、デザイナーにも基礎的な能力は求められているようです。
正しくは、もともと制作チームの中で無意識に潜在的に求められてきたことが、きちんと言葉として、必須スキルとして明言されてきたと言えます。
それはいいことだと思うし、でもますますハードルが高くなってきたなあとも思います。
さて、話を戻しますと、私ならなんと答えるか。
まず、仕事に煮詰まった場合も、極力常識人・一般人であってくれ、と言うと思います。
それは営業やディレクターやクライアントと協力しあって仕事をするためでもあるし(笑)、デザインとは人間の常識にのっとった情報の誘導・案内でもあるからです。
あとは、自分を負のスパイラルに落とす、肌に合わない精神論や自分を責める気持ちを排除すること、それが可能な環境をつくること。
Webに直結しなくても、「いいもの」「きれいだと思うもの」をよく観察こと。
好みの女の子や男の子に見とれるという意味ではなく(笑)。
そして大事なのは、同時に、いいものだけを見ようとしないこと。
きれいでわかりやすい資料・本に触れる。それらを教えてくれる、「リアル(SNSやブログ上だけの付き合いでなく、直接会って話し合いができる)」の友だちを持つ。
また、Webに限らず、クリエイターの方達がよく実践するのは、模倣です。
手書きで、良いと言われている・良いと思うサイトのレイアウトを紙に書き出してみると、体得できると思います。
最後に、「情報設計」や「情報の分類」というのは、自分の中の概念や哲学の成熟度と、常識の実践度とがいいバランスをとれるようになってからのほうが、うまくできるものだと考えています。
しかし、つまずいている新米のデザイナーさんに20代後半くらいになるまで待て、ですとか、怒られたからといって早々に「オレはセンスが無いんだ」と決めつけてしまわれるのは、残念だし妥当ではないと思います。
結論としては、タフで健全なマインドを持つこと、ある一定の期間突き詰めて作業をし続けること、よい教え手やメンターに出会ったり、求めることでしょうか。