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この年の瀬に感じるのですが、私は仕事をしていないと、怠け者すぎるほど怠け者なのだ思います。
動きは遅く、うっかりしていて、皮膚もたるんでいるように見えます。
フリーランスの人はプー(ニートでもいいよ)と紙一重といいますか、
実際、プーと働き者の切り替えスイッチは私の中の割と手の届くところにあって、
さまざまな意味で抱えているものが少ないのもあり、「プー」側への切り替えというのは、ごく簡単なものなのです。
勤勉なみなさまに申し上げるのは大変恥ずかしいのですが、私はプーの経験も短期間であれ数回ありまして、当時の習性や思い癖が体に染みついております。
確実に言えるのは、プーだった頃に世の中をボゲーっと眺めていた経験は、その後、本当に役に立っていることです。
私の稼業は、「溺れない」ことが大事だから。
瞬間的に、感情・体調・事情・政治…などに溺れるのは仕方ないとしても、やはりゴール(納期や目標)まで漕ぎ着けなくてはいけない。
プロジェクトは、少なくともディレクターにとっては、ドラマの舞台なんかではない。
私は時々、打ち合わせの時や、人と食事したり酒を飲んでいると、プロジェクトや接している相手の人生を、私の頭の奥の壁にストリーミングしているような感覚をおぼえることがあります。これがプー時代の名残。
いちいちクリアな視界で凝視してると疲れ果てるし、視界狭窄になるんです。
誰かが、プロジェクトの中枢を担うのであれ、一作業者であれ、疲れ果てると優先順位を見失います。根拠もなく優先順位がおかしくなると、リソースが損失したり、納期に響きます。
ぼんやりでもいいので、おおまかに掴んでおいて、体力を温存し五感を泳がせていると、パスが見える瞬間がくる。
ただし、これは仕事に慣れていって、緩急のつけどころや、都度自分に求められる成果物の精度・粒度を把握できるようになってからの話です。そうじゃないと、ただのボーッとした人や不思議ちゃんだから(笑)。
相手やプロジェクトそのものに飛び込むことと、脳内ストリーミング、それと数字や文字で表される目標とか目的、この3つを行ったりきたりして、バランスを保っているように思います。
泳ぎに喩えるなら、潜って水を掻いて息継ぎして、漂って、沈まないようにすることです。
さて来年は、どれだけジャブジャブと泳げるのか、もしくは波を楽しめるのか、ワクワクします。
仕事をしていく上で、持久力もスタミナも大事だけど(結局それでやってのけるものだ)、
結構、恒常性を見落としがちかなぁと思いました。
恒常性とは、生き物の生理状態を、一定に保つ性質のことですけど、
仕事しいては人生においては、「何かあってもいつもの調子でやってけるようにしてること」と
捉えています。
最近転居をして、身体が環境に追いついていなのか、疲れが出やすいのですけど、
締め切りが迫って自分を責めるより、恒常性を信じてやれること・やることを進めていこうと思いました。
昨日はセミナーイベントでした。
懇親会さらには3次会まで参加し、Web制作者の方々と濃い時間を過ごしました。
インプットそのものの印象がとても強かったので、今朝は家事をこなしながら取り止めもなく考えては消え、の繰り返し。
やはりお酒が進んでしまったので、「何気ない言葉や仕草で人を傷つけたんじゃないか」などと回想してしまいました(苦笑)。
私の話が続きますが、学生の頃より「考え過ぎ」と指摘されていました。
「気にしすぎ」や「杞憂」の類ではなく、アウトプットを前提とした思慮だったり、戦略を練るのだったら、「考え過ぎ」も役には立つでしょう。
ディレクションやプロジェクト管理といった仕事は知的労働の一形態なので、「考え過ぎ」の中身は後者になります。ならないと周囲が困ります。
(私が新米ディレクターの頃は「気にしすぎ」や「杞憂」ばかりでした)
誰かが私を「君は考え過ぎだよ」と苦笑いで指摘する際、考え過ぎている私の意識はme方向(私自身へ向かっている)で、アウトプットを生み出すために考えまくる人の意識はus方向(本人と関わる人々へ向かっている)です。
※me方向もus方向も仮にそう呼んでみました。
まあ、プライベートな場でも、後で一人になったときに意識が「me方向」にならないように軽くブレーキを踏んでおきなさいということです。
さておき、私は考えるのが苦ではありません。むしろ好きというかつきまとってきます。
なぜか。
無意識のうちに、考えるという行為が、手ぶらでも・どこでもできる便利なものと捉えているからなのだと思います。
便利…そう、コンビニ(convenience storeは便利という意味の単語convenienceから来てる)みたいに、便利なものイコール本当にその人にとっていいのか、判らない。
かといって、人が便利と思ってとっている行動に対して「やめなさい」と止められるのは抵抗があります。
ただ言えるのは、考える環境やマインドセット(上記の意識の方向)をなるだけ心地よいものにしてあげることです。
もし考えごとが多い方や、仕事で考えことに多く時間を割く方がいれば、考えている時の意識の向きを把握して、環境作りをしてみるといいと思います。
たとえば、メモの習慣や付箋紙を持ち歩く、マインドマップの書き方を覚えたり、たくさん本を読む、人によっては昼休みのトイレタイムは呼吸を整えるとか、バランスボールで身体を鍛えるというもまで含まれるでしょう。
職業意識がある人は誰でも、実践的かつ実利的な「工夫」の経験もあるので、そう難しくないと思います。
今年はライティングに関する書籍や記事を多く読みました。
ライティング全般や表現のためのライティング、Webライティング、ビジネス文書・ドキュメント作成…などなど。
手本となる先輩からのメソッドを享受し、常に自分に刺激を与えていきたい、というのと、Webのライティングはある程度は様式・形式に沿っているので、トレンドやTIPSを得つづけないと沈殿しかねない(というと大げさですか)、という理由からです。
しかし、ここにきて詳しいTIPSは書籍の力を借りるとして、書き手が何より持つべき素養は、
ヤバいと思う気持ち
なのかな、と感じるようになりました。
それは読み手を引かせないためのセンサーで、「空気を読む」能力を決定付ける感覚とも言えます。
これが欠如している人は、延々と伸び悩んだり孤独を味わうのでしょう。
どんなに物事の本質を捉えていたとしても、その場(誌面上・画面上・会議の場)における文脈を外した発言であれば効果はゼロ、空気を読めない・暴走しているというレッテルを貼られます。
愛を語る人がスウェットのトレーナーとズボン姿、相手は懇親会で名刺を交換しただけの間柄、だったらどう思いますか?
また、ヤバいんじゃないか、という問いは、「空気を読む」ためだけでなく、マンネリへの自覚にも効果を発揮する感覚です。
たとえば、みなさんのメーラーの受信トレイの中に、延々と見づらいメルマガやメールの件名を出し続ける会社(人)はありませんか。
その会社(人)に指摘すれば、オリジナリティを訴えるかもしれませんが、我こそはヤバくないと思っているところが大多数かもしれません。
(ヤバいと自覚し敢えて配信するような、スパムの業者もいますが…)
そもそも、レイアウトや件名の形式を考えた時点で、自社や競合他社、メール全般への観察や判りやすさというものへの考察が無い・甘かったとしたら、いくら個性を主張しても理解されづらいでしょう。
個々の技術より、企画の全体感を把握した上での、読み手を逃さない心構えの方が重要だと考えます。そして性質によっては、時折空気を入れ替えなくてはならない。
まずは自分や他人のテキストを読んで「これヤバくね?」と問うこと(声に出さなくても)ができているかが、ライティングの大前提だと思います。
そして広告業界の方は意識していると思いますが、無意識にヤバさを選り分けている人とは、それが普通かどうかすら意識もしないような、奇をてらうことのない、普通の生活者です。
一流クリエイターがインタビューで語る、「ターゲットユーザーである消費者のことを考えて、普通の人の感覚を持て」というような話は、一瞬えっ?と思いますが、かなり重要なのです。